安部龍太郎講演会

黒田官兵衛と大航海時代

令和元年10月4日。中津文化会館大ホールは戦国時代へとタイムトラベルした。
九州出身の直木賞作家、安部龍太郎氏による講演は
当時の情景を心に色鮮やかに蘇らせるのに時間はかからなかった。

黒田官兵衛の中津城下には教会や修道院が建設され、
イエズス会の司祭、グレゴリオ・デ・セスペデスや準管区長ペテロ・ゴメスが歩いていた。
その頃の生痕には十文字が刻まれた城跡や一帯の切支丹墓石の数々、
あるいは三基の織部灯籠などが残っている。
また、中津年表には地域の惣庄屋14軒のうち12軒が切支丹であったと記されている。
さほどに黒田官兵衛は切支丹大名の中心的存在であった。
しかし、中津では黒田官兵衛を切支丹大名として語る人は少ない。
そこで2019年(令和元年)10月4日、
直木賞作家の歴史小説家 安部龍太郎氏を中津文化会館大ホールに招き
「黒田官兵衛と大航海時代」
という標題のもと、戦国時代の外交との交流を語っていただいた。
黒田官兵衛の背後には切支丹のネットワークがあり、
明智光秀の本能寺攻めを黒田官兵衛は事前に知っていたことなど、
安部氏の新鮮な時代考証を聴くことができた。
私は黒田官兵衛の合子の兜の形は「協会の鐘の形」であると、
造形家の直感で言い続けてきたが、今回の安部氏の話を聞いて、
その妄想もあながち否定するには及ばないとますます思うようになった。

著/山田史郎(会報誌「なかなか」創刊号より)